山と渓谷の会
山と渓谷の会鋸山散策       平成20年4月17日(木)
 

 今回は東京駅から2時間あまり、久里浜港から東京湾フェリーで40分と、三浦半島方面からも比較的アクセスの良い新緑の房総半島鋸山(海抜329m)を訪れることにした。
 この山は凝灰岩からなり、江戸時代から採石されていたが現在は切り出された後の急峻な岩肌が見られる採石場跡になっている。登山者はもとよりロープウエーで気楽に登れるとあって冬期でも温暖な風光明媚な観光地として多数の方が訪れている。
 当初参加申し込みが15名であったが体調等の事情で少なくなり、内房線浜金谷駅10時25分にフェリー利用の2名を加えて12名集合した。

 
 今回の山行で一番の気がかりは天候であった。一週間前の予報では曇りか雨となっていた。まあ週間天気予報でもあるし楽観視していたが当日近くになっても一向に変わらない。予備日が翌日に設定されてはいるのだがさらに悪そうだ。小雨でも行くしかないかなと考えたりもしたが幸い朝起きてみると曇り空、予報では早ければ午後から雨の模様、早く切り上げれば何とかなるかなと思い家をあとにした。
 駅から歩いてさほど遠くないロープウエー乗り場に到着すると我々以外のお客は数名程度で少ない。行楽シーズンでも平日とあってすいている。今日は天気模様が怪しいこともあるだろうがやはり行楽地は平日に限る。
 ガイドの案内を聞きながら周りの景色を眺めているとほどなく山頂駅だ。展望台からは遠方には三浦半島や東京湾を船が頻繁に行き来するのが一望できるが、今日はあいにくの空模様で東京の高層ビル群や富士山までは残念ながら霞んで見えない。 
展望台を下りて暫く歩くと日本寺の入り口ゲートがある。ここで拝観料を払って33万平方メートルといわれる広大な敷地に入る。階段を上らず脇道を行くと6年かけて岩壁に彫られた100尺観音石像がそびえたっている。戦没者や交通事故犠牲者の供養に彫られたとのことであるが、それにしてもこれだけのものをよく彫ったものだ。
 ここから一旦、日本寺のゲートを出て石切場跡に向かう。凝灰岩できた急階段は長年人が往来したので、岩が砂混じりの比較的もろい特性と相まって大分削られていて下りはちょっと怖い。山道を20分ほど上り下りすると石切場跡に着く。垂直の岸壁は80mほど、その高さは壮観だ。手をたたくと周囲に反響が響き渡る。その前に岩舞台が作られおり、たまには演奏会を開催しているようだ。参加者の一人は「これほどの規模とは思っていなかった、石切場を見ただけでもここに来た甲斐があった」と感激ひとしお。
 100尺観音石像まで戻り、その先左上にある階段を登ると山頂展望台がある。近くには切り立った岩壁から突き出た「地獄のぞき」は高所恐怖症の人でなくても足がすくみそうなスリリングな所だ。
展望台で昼食となったが落ち着いて食べられない事態になった。と言うのは食べていると鳶が後方から音もなく飛んできてメンバ?の弁当をさらってしまったのである。それからは上空の鳶の行動を監視しながらの食事で忙しなくなった。観光客の餌付けが災いしているようだ。
 午後からは1300年前高僧行基菩薩よって開かれた勅願所で現在は曹洞禅宗の日本寺巡りである。山腹沿いに造られた参道は階段続き、その数は何と2,639段もあるそうな。階段を下りながら二十一年間の歳月をかけて彫った千五百羅漢もの石仏を拝みながら下山である。長い間の風雪で頭が折れているのもあるが顔の表情の多様さとその数には圧倒される。
 このあたりから少し雨がポツリときたが大したこともなく大仏を目指す。
 岩山から彫った総高31mの大仏座像は日本一とあって流石壮観である。全員の記念写真撮影後14時30分過ぎ漁師料理店のマイクロバスで日本寺を後にした。

 

 最後は刺身を肴に軽くビールで反省会。電車組とフエリー組とに分かれて帰途についた。
ここまで心配していた天気も崩れずゆっくり散策できたのは何よりであった。
参加者の皆さんお疲れさまでした。
文責 山と渓谷の会 幹事 菊地 一行

2008-5-12掲載