1月9日(水)に「深川七福神巡り」に参加者40名という七福神では
最大の参加申し込みがあり、その実施報告です。
当日は交差点での信号待ちや縦列の長い行列による交通事故、
はぐれたりしないように班別にしました。4班構成で、10人で1班
の構成です。
出発前に注意事項のレクチャーして、第一班を先頭に出発。
これから4時間かけての七福神ほか施設の見学です。
第一番目は寿老人を祀ってある「深川神明宮」です。
深川において創立の最も古い神社です。
大阪摂津から来た深川八郎右衛門がこのあたりを開拓したそうです。
深川の姓名をとって深川村に命名されました。
ここで各神社仏閣で朱印が押して貰うための色紙を購入しました。
次は寄り道して「芭蕉記念館」を見学します。
隅田川の支流の小名木川にかかる萬年橋を渡ってしばらく歩くと大黒天の
「深川稲荷神社」です。この川は江戸時代から、船の往来が多く、この一体
は船大工が住んでいて、造船や修理をしていたので、深川西大工町と呼ば
れていました。昭和7年には深川清澄町に なりました。
この近くには「尾車部屋」や他にもいくつかの相撲部屋があります。
普段は神主もいないこじんまりとした神社ですが、正月は人が詰めていて
朱印がもらえます。
前の通りを南下して清洲橋通りを横切ると大きな公園です。
七福神巡りの途中にあります「清澄庭園」に寄り道しました。
泉水、築山、枯山水を主体にした回遊式林泉庭園で江戸時代の大名庭園の
造園手法として明治時代まで発展したと言われています。
庭園の一部は豪商の紀伊國屋文左衛門の屋敷跡で、明治11年に
岩崎弥太郎が買取り庭園を完成しました。その後大正13年に東京市に
寄付して現在に至っています。
ここで25分ほどの見学でのんびりと庭園を散策しました。
霊巌寺を携帯を素通りして「深川江戸資料館」に寄りました。
ここは江戸時代の庶民の生活模様が長屋の家の中に再現されています。
商店では八百屋や海産物、米を売っている店、また火の見櫓もあります。
江戸時代の下町が凝縮されています。
コースも半ばになり疲れた方は見学もそこそこにロビーでひと休み。
次は毘沙門天を祀ってある浄土宗雲光院の塔頭寺院で慶長16年に馬喰町で
創立した「龍光院」です。幾度かの大火で消失して深川に移転して現在に至って
います。
木彫りの毘沙門天が安置されています
ここ「円 珠院」は木造の大黒天が
あります。
ここから再度清澄庭園方向に歩き
仙台堀川に架かる海辺橋を渡って
直進すると「心行寺」です。
福禄寿は六角堂に安置されています。
石像の福禄寿は左側の写真です。
本堂は関東大震災と太平洋戦争の末期
戦災で焼失しましたが昭和42年に再建
されました。
心行寺本堂前での記念撮影 これだけの参加者は今後あるのだろうか?
心行寺から少し歩くと葛西橋通りに出て左折してしばらく行くと弁財天のある
「冬木弁天堂」に出ます。
材木商冬木弥平次がこの地に弁財天を安置しました。
左下の写真は2匹の蛇が巻きついています。夫婦円満を表しているのでしょうか。
さて、七福神巡りも残すところあと一つになりました。疲れた足に喝を入れて
「富岡八幡宮」に 向かいます。
「富岡八幡宮」では境内の西側にある恵比寿宮に恵比寿神を奉祀されています。
富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。現在の大相撲のルーツが
ここに
あります。歴代の横綱の名前が刻まれた「横綱力士碑」を見ながら自分の
知っている かっての力士に 思いを馳せていました。
夕闇も迫り、今日の反省会も兼ねた新年会場は門前仲町に向かいます。
今日の七福神巡りにあやかって岩手から取り寄せたお酒「てづくり七福神 」 や
ビール・焼酎にちゃんこ鍋を食べながら大いに盛り上がりました。
今回は41名の大人数の参加者で、4班構成で
まとまって行動を共にしたせいか、迷子や事故
もなく無事巡れました。
世話人の方ご苦労様でした。写真提供もあり
がとうございます。
次回のお花見も今回にも増しての参加をお待
ちしています。
山と溪谷の会 幹事 菊地 記